そんこんなで どんなもんだ


by makitohigo
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<   2006年 06月 ( 16 )   > この月の画像一覧

穴 5

<つづき>

漆黒の闇を腹に入れる

これは、簡単な作業ではありません

なんといっても
漆黒の闇はつかみどころがないのです

では どのように腹に入れるのか
手で何かを入れるようにはいきません

漆黒の闇を腹に入れるには
腹の中にブラック・ホールを作ればいいのです

腹にブラック・ホールを作ってしまえば
漆黒の闇を腹に入れることができるのです

そこで私は腹にブラック・ホールを作ろうとしました
なにもかもを吸い込んでしまうブラック・ホール
光も闇を吸い込んでしまうブラック・ホールを
自分の腹に作くる作業にとりかかったのでした

<つづく>
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by makitohigo | 2006-06-26 01:16 |

穴 4

<つづき>

とりあえず腹にできた穴をどうにかしよう
こう考えました

なんにしても腹の穴をどうにかしない限りは
携帯電話もみつからないでしょうし
なんといっても、自分の腹の中が垂れ流しになるっていう
この状態は何よりも優先して防ぐ必要があると考えたからです

どうすればよいか

一般的に、穴が空いており、そこから何かが垂れ流しになってしまっている場合
そしてそれを防ぎたい場合
「穴を塞ぐ」という作業をするのが普通であり
それでもダメなときは
その垂れ流れている何物かの元栓、源をとめるという作業をするのではないか
こう考えました

そこで、まず 穴を塞ぐにはどうしたら良いかということを考えました
「なにかを詰めてしまおう」 これが何よりも最初に頭に浮かんだソリューションでした

問題はなにを詰め込むか ということでした 
一体、この漆黒の穴の中で何を腹の穴に詰めることができるでしょうか?
私は長い時間悩んだあげく 
やはり、この漆黒の中で腹に詰められるものは一つしかない
という結論に至りました

それは

漆黒そのものです

<つづく>
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by makitohigo | 2006-06-23 08:06 |

穴 3

<つづき>

なんか 完全に文体が変わってしまいましたが
それは後でなおすとして

穴をドンドン降りていきますと

光がドンドン少なくなり

きがつけが
あたりは漆黒の闇に包まれていたのでした

さすがに恐くなりましてね

ポケットから携帯電話をとりだしまして
その携帯電話の画面から発せられる光で
安心というものを獲得しようと考えたのです

これは我ながら名案であると思いました
そして早速実践しようとしました
次の瞬間
その案があまりに安易なものであり
そして 
今現在自分には実現できることではないことに気がついたのでした


携帯電話がなくなっていたのです


いや
正確に記しますと
なくなっていたのは携帯電話ではなく
その携帯電話が入ってたポケットが
なくなっていたのです

これはどうしたものかと
ポケットを探しておりますと

ふと
自分のおなかのあたりに
ぽっかりと穴が空いていることに
気がついたのでした

はてさて
おかしいな
腹がへっている覚えはないのだけれど

腹に穴が空いてしまったのです
これは問題であると認識しました

腹があいてしまったら
腹の中が全部みえてしまう

別に自分が腹黒いという認識はないですが
しかし
それにしても私は聖人君子でもありませんから
やはり
腹の中をみられる というのはあまり気持ちのいいものではないのです

しかし焦っていても なにも前には進まない
そこで整理することにしました

今、自分自身は底の分からない漆黒のカフェオレの穴を降りている
そして
その自分の腹には穴があいてしまっている

まとめると ざっとこんな感じでしょうか

すなわち
今、問題となっているのは二つの穴であり
よって
問題を解決するにはこの二つの穴をどうにかしなければならない

そういうことなのだと 気がついたのであります

<つづく>
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by makitohigo | 2006-06-22 05:44 |

穴 2

<つづき>

穴を降りる

それは簡単にみえて
簡単なことではない

表現の問題だ

ただ「穴を降りる」と言ってしまっても
実際的にはなんら問題はないように感じられる

しかしだ

人はこの一文をみただけでは
一体全体どのように穴を降りるのか
これを想像させることができないのである

しかし ここでは あえて 「穴を降りる」とだけ書くことにする

人に想像をさせない文というのは 果たして駄文であるかもしれない
しかし もしそのような批判を受けるなら
僕は甘んじてその批判を受けようと思う

なぜなら
いかように表現しようと
僕は「穴を降りた」としかいえないのである
僕はどのようにも穴を降りてはいない
ただ
観念的に穴を降りているのであるから
そこにおいて「どのように」ということを表現することは
非常に困難であり
また
それを強行として表現しようとすれば
誤った情報を読者に与えかねない
それこそ 文章を書くことにあたって
してはならないことなのである

とにかく

僕は穴を降りたのである
カフェオレの穴を

<つづく>
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by makitohigo | 2006-06-22 03:12 |

ある日 お外を歩いておりましたら

それはそれは天気の良い日だったんですが

目の前にね 大きな穴が空いてたんですよ

でね

その穴のところに標札がありまして

「カフェオレ」 って書いてあんたんです

カフェオレ?
カフェオレは大好物なものですから
思わず覗いてみたらですね

それはそれは
深い穴でして
全然底がみえない

ましてやカフェオレの気配なぞ微塵もしないのでした

おかしいなあ
この穴はカフェオレの穴のはずなのだが...

そこで
僕はですね
全国のカフェオレ・フアンのために
ここは一つ犠牲になってみようかしらと思いまして
そして
思い切って穴に入ってみる決心をしたのでした

<つづく>
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by makitohigo | 2006-06-21 11:08 |

ブログ

正直にいうとさ
ブログなんてものは自分のイメージを構築するためのものなんだと思う

自己顕示欲
自分をアピールしたい

たしかにそういうことなんだろうが

もっと掘り下げて言うと

自分が「他人からもってもらいたいイメージ」
というものを自分から誘導する

こういうことなのだろう

そう考えると
うんざりする

なんて卑小なことをしているのだろうか と


「自分に対してこういうイメージを持ってもらいたい」
と思うことを書く

それがブログだ

面白い

自分のブログを読むことで
自分の潜在意識というものを分析できるのだ
自分が「こういう人間でありたい」という意識を
みることができるのだ

そういう意味で
ブログを書くことは面白いかもしれない

ただ
これだけは覚えておいてほしい

このブログを読んで
作ったひご像は あくまで虚像である
ということ

いってしまえば
ひごくんに誘導されていると考えてもいい

だから
話半分に読んでいただきたい

結局
自分のイメージに傷をつけるようなことは書かないんだから
都合のいいことしか書かないんだから
無意識的にだけどね

まあ
それを言ってしまえば みんな虚像なんだけど
でも
その虚像を真実の形に少しでも近づけたいなら

こんなブログ読まない方がいい


ただでさえ
読者の少ないこのブログでこんなこと言っていいものかと思うけど


やめちまえ
こんなブログ読む暇あったら
家帰って布団しいて寝たほうがまだ建設的だって話だ
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by makitohigo | 2006-06-17 05:11 | コミュニケーションについて

家族

明後日、っていうか明日は父の日なのだが

前もって買っておいたカードを家に忘れてしまった
いま出張ってまして 日曜か月曜まで帰る予定ないんだよね

う~ん 明日あらためて買うかな

とうさん

ひごまきとくんの素行の多くはとうさんに影響されている
ずっととうさんを見てきて育ったからね
ずっと憧れだったし
理不尽に不機嫌なとき意外はw

頭がよくって
筋が通ってて
頑固なまでに純粋で
そんな人間になりたいと心から思って育ってきた

同時に兄さんの影響も大きい
小学校までの十数年間は完全なお兄さんっこで
正直、にいさんがいないと生きれない感じで
そういった意味では独立した人間じゃなかったからね

友達は小学校までほとんど兄ちゃんの友達を供給された
趣味とか価値観とかも基本的に兄から譲り受けていた
兄が不良になったら、自分も不良になんなきゃって本気で思ってたw

そして かあちゃん
小学校まではマザコンと言ってもいいくらいの甘えん坊で
そこらへんは完全にかあちゃんに依存してたね
愛とか慈悲とかはかあちゃんに教わったと思う
なんでもかんでも許しちゃうかあちゃん

それにしても
小学校までは自分でまともに考えたことがなかったように感じる

全てを家族に依存してた
だから、小学校以前の記憶はマジにあやふや
本当に存在してたのか分からないくらいw

そして革命の中学時代
とうさんに逆らい、兄さんに逆らい、かあちゃんに逆らった
ついでに先生にもw

「自分には自分の考えがあるんだ!」
自我の発現

面白いことに
このころを境になぜか成績も突然よくなったという


そう考えると
自分は卑怯な末っ子だ

小学校までは
家族のみんなに依存して
突然、一方的に反逆して
「自分の考え」なるものを旗印に好き勝手にやりはじめる

家族からしてみたら
傍迷惑もいいところだね

家族かあ
なんか家族ととても仲のいい人をみるとうらやましい

もう兄ちゃんと久しくまともに話してない気がする
とうさんともかあさんとも それなりの話しかしてない

多分、家族のみなさんは今のひごまきとをあまり把握できてない

それは全部自分が悪いのだけれど
でも
反逆の中学時代の負い目を感じざるえないから
未だに腹を割って話すことができずにいる
(かあちゃんとはある程度はなしてるかもだけど)

寂しい限りだね
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by makitohigo | 2006-06-17 03:42 | 日記的なもの

価値観

今寝たらやばい

ってことで
これから文章を書きまくることにした

とりあえずガンガンいくぜ

まず最初のテーマは

「価値観」

これはなんとも難しい問題である

価値観というものは人それぞれが持っているものであり
それぞれの価値観が違うということは自然であるし、歓迎すべきことである
画一的ではなにも面白くない

そこらじゅうに転がっている石に価値を見出す人もいれば
ベンツになにも魅力を感じない人間もいる

価値観は10人いれば10色ある そう十人十色
しかし似た価値観を共有することはできる
そうして
価値観をある程度共有できる人間が集まってコミュニティーを作る
文化が形成される


しかし違う価値観が存在する以上、価値観が衝突することは必然である
ここにおいて

人は譲れる部分と譲れない部分がある
お互いが譲れない場合、紛争が起きる

と考える人間が多い

そして
紛争が何も生まないことを学び
譲れる人間になる
「大人」になる

しかし これはいかにも窮屈な解決策である

譲り続ければいつか我慢の限界がくるのである
要するに根本的な解決ではないのである

必要なのは理解であり包括なのである

相手の価値観を理解することは
自分の価値観の幅を拡げる作業なのであり
すなわち相手の価値観をも包括した価値観を構築することにより

譲らなくても、紛争の起きない価値観を持てるのである


自分自身、我慢のできない人間である
そして頑固であるとも自認している

正直、「譲る」なんてものは到底できるものではない


しかし
譲る必要などないのだ

相手を理解しようとすれば
おのずと受け入れられるのである


と奇麗事を並べたが
これを遂行することは容易ではない
信じられないような価値観をも受け入れなくてはならないのである
到底できるものではない
結局は理解と譲歩のハイブリッドになってしまう

であるから
何も完全に遂行するべきとは言えない
ただ
こういう考え方のもと行動することにより
いくらか生きやすい世の中になるのではないかと考えるものである


ただし
この思考では一つの壁にぶつかる


というのも
以上で述べてきたものは
「価値相対主義」という価値観が前提となっている

すなわち
それぞれが違う価値観を持つべきであり
他人の価値観を否定することはできない という前提である

この価値観が唯一、譲れない価値観となっているのである

であるから
この前提が成立していない場合
自分の価値観を侵害されるような場合
  
紛争が起きてしまう

こればっかりは
いたしかたない

これは翻って
自分に常々言い聞かしていることである

自分の正義を押し付けるな
人の価値観に介入するな

ただ
これがまた
むつかしい作業なのである
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by makitohigo | 2006-06-15 10:06 | コミュニケーションについて

お別れの挨拶

「バイバイ」って言葉が好きくありません
なんとなく

バイバイ

バイバイ

バイバイ

バイバイ


なんかもう会えない気がしてくる


あと
小さいころ
寝る前に必ずかあちゃんに
「また明日ね」
って言ってた

「おやすみ」じゃなくって「また明日」

なんか
この一言を言わないと
次の日会えない気がしてた
「おやすみ」って言ったら
永眠しちゃう気がしてた

「また明日」

いまでも誰かと別れるとき
「じゃね」って言えないと
なんともいえない嫌な気分になる

「じゃね」「またね」

なんとも
顔に似合いませんね
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by makitohigo | 2006-06-15 06:55 | コミュニケーションについて

贅沢

考えてみると

学生ができる最高の贅沢ってのは

時間の無駄使いだと思う


将来のこと考えると
バイトで生活を追われるのは
とても合理的じゃない

あと何年かしたら
否が応でも毎日毎日働いて
使う暇のないお金を貯める人生が待ってる

それを考えると
「今」働くことはいかにも合理的ではない

いましかできないこと

それは 時間の無駄使いであり

心行くまで ぼおっとするなり 本を読むなり 映画を観るなり

社会的には非生産的と呼ばれる物事で
人間の幅を拡げることのように感じる

本当の合理主義なら

授業は最低限しか出ずに 好きなことやることがいい

一年生のときそう思い いまも同じだね
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by makitohigo | 2006-06-11 03:56 | いろいろおもうこと